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あえてのフラメンコ

前回のブログから1年経ってしまった(´Д` )
今日は相当な空き時間があるので思い立って書いてみました。

カフェでYouTubeを開きフラメンコの動画を見る。
先ほどのクラスで教えてもらったことを思い出し、「はー。なかなか出来ないな〜。」と嘆く。
出来ない理由は練習が足りていないとか人間が出来てないとか沢山あるのだが、その1つに身体の構造があったりする場合がある。

フラメンコを踊るときに、「スペイン人または欧米人とはそもそも身体の構造が違う」という、そもそも論を聞く又はする事がある。
加えて「文化が違う」「環境が違う」も飛び出し、そもそも私たち日本人には無理だという残念な結論になる。
そりゃそうだ。生まれ直さなきゃ難しい。
途中参加のハンデを補うのは中々難しい。

私の母と祖母は日本舞踊の師範で歌舞伎や日本舞踊が大好きだ。
私も幼少に習い始め、大学時代までお稽古に通っていた。しかし色々な理由がありフラメンコの舞踊に興味を持って現在に至る。なので日本舞踊はホントにたまーに地元で機会があると舞台に立つ程度だが、少し浚えばなんとか日本舞踊の間や感覚を思い出す事が出来る。ありがたいことだ。この先、目指すことはないかもしれないが反抗的な私に辛抱強く稽古を付けてくれた祖母と母には頭が上がらない。

先日、テレビで中学か高校生くらいの女の子が見事な民謡を披露していた。その子は「将来は、私のおばあちゃんの様に民謡が歌えるようになりたい!」と瞳を輝かせていた。おばあちゃんは、それはそれは満足気な表情で孫を見つめて喜んでいた。
私は自分が日本舞踊を継がなかったことは仕方ないと割り切っているが、祖母と母は残念だろうなあと少しだけキュンとする。

今日、私は母と母の小学生のお弟子さんと一緒に上京してきた。母たちは6月の発表会に向けて会主である師匠に稽古をつけてもらうべく、下北沢に行った。お弟子さんは、かつて私も同じ会主のもと大舞台で踊った演目を踊るので、道中に私の苦労話や体験談を聞かせていたら「彼女はしっかりしてるから大丈夫よ!あんたの変な話を聞かせないで!」と怒られた(´Д` )

日本舞踊を舞台で踊る時は、ベタベタの白塗りを手足にまでした上に、おもーいカツラと衣装を付けて中腰で踊る。
演目によっては小道具もたくさん登場し、それを使いこなしながら立ったり座ったりひざまずいたりし、男役の場合は大股を開いたり身体の側面で舞台に乗ったり…とかなりの重労働なのだ。
そして足元は今は滅多に履かない足袋を着用するので指股が痛いし痒い(´Д` )

私はフラメンコの舞踊の壁にぶちあたる度に「日本舞踊ならこんなに苦労しないのではないか」という思いが脳裏をよぎった。
着物は似合うし、唄の情景も想像出来るし…と。
しかし日本舞踊も簡単ではない。
阿吽の呼吸、色香、セリフの言い回し等々、追求すれば壁にぶちあたりまくりだ。
結局のところ、私は日本舞踊を追求しなかったからそんな思いがよぎるのだろう。
日本舞踊、申し訳ありませんm(_ _)m

前に、来日したマリア・パヘスの記事を読んだ。
「私はスペイン、セビージャに生まれ育ったからフラメンコを踊っているの。もしも私が日本に生まれていたら、きっと日本舞踊を踊っていたわ。自然なことじゃないかしら?」
という感じの内容だった。

至極納得…。

しかし私はあえてフラメンコを趣味としている。
なんか好きで、ワクワクするから^_^

今更。

先日、サラ・アンダルーサのライブが終了しました。
応援して頂いた皆様、誠にありがとうございました!!!
今回は「今更。」と題して自分への戒めに書き記しておきたいことがあります。
本当に、 い・ま・さ・ら なのですが。

今回のライブで共演してくださった、モイ・デ・モロンとパコ・イグレシアス。
「共演」なんていうのもおこがましく、カンテ(歌)とギターで支えてくださいました。
全力で。

ここのところご指導をして頂いてる踊り手の萩原淳子さんが、「モイは手を抜かない」と仰っていた通り、どんな時も手を抜かないで歌うモイ。
ライブでは見てきたけれど、同じステージにイスを並べて座らせてもらい、自分の隣で・後ろで発しているそのパワーにとてつもなく揺さぶられる自分の心。

大きな感動のあとに押し寄せてきた自責の念は、無視できないものでした。

私はちゃんとやったのか・・・。

彼らは彼らの役目を全力でやっている。
そう言うと当たり前のように感じるが、実は難しい事だと思う。
フラメンコの歌・ギター・踊りは三位一体と言われ、お互いに触発しあう。
彼らと自分とでは「互いに触発」なんて成り立つわけがなく、私の踊りを見てインスパイアされることなんか何もない。
だから当然、彼らのテンションは下がるのだ。
しかしパコは私が迷ってやっている足振り(ステップ)について謝ると、「大丈夫。俺は基本を弾き続けるから、よく聞けばリズムに戻ってこれるよ。最悪、最後は合わせる。」と言ってくれた。
そして私の迷い足に対しての彼の寄り添い(支え)ぶりは素晴らしいものだった。
弾いていて、絶対にたくさんの「???」があったはずなのに。

モイもそうだ。
「今のジャマーダ(はい、ここで歌ください!と歌を呼ぶ合図)か?」とか「どんなテンションなんだ?」とか、ちょっと歌えませんよ~!!!という気持ちだっただろう。
しかし歌う。全力で。素晴らしい彼の節回しで。

この、ものすごくプロフェッショナルな仕事をする彼らに対し、なにも果たせていない自分。
申し訳なく、情けなく、ひたすら反省。
私は何者であれ、「踊ります!」と言って舞台に上がる以上、自分の持ち場に責任を持たなければならない。
このことを本当に改めて実感させてくれた今回のライブに大感謝です。

壁に貼って、胆に銘じて、石に刻まないと!!!!!









万年反抗期が流れに身を任せる

この夏、アレグリアスで過ごしています♪

むはは。
どういう意味?なわけですが(笑)、ザッと説明しますと

夏のスペイン滞在期を少しよみ間違えたことに気付いた頃、
日本でアレグリアスの学びが始まり、
スペインでもペペ先生にアレグリアスを学ぶのが良いかも?となり、
もうここまで来たらこの機会に休日は憧れの地(サン・フェルナンド)に行くか!

と、なった結果、幸せの渦に飲みこまれました



家族または私を良く知る人は、私の行動の90%が自発的であることを知っていると思う。
簡単に言うと、「人のいう事を聞かない人」←語弊ありまくりですけど
人のいう事を聞かないのではなく、それに同意していないということなんですが。
結果、母親には「万年反抗期」と呼ばれるのです。
同意していないだけで、反抗しているわけではないのですが

まあ、生い立ちは多分大きく影響して、「私は自分の行動を自分で決める!」と、
中学生になる頃には決心していました。
なので、様々な選択の場面では単なる衝動や直感が働かない場合は
「これは自分の考えか?」と自分に問い、できる限り自分で選択をしてきました。

私は第一子なので、兄弟・姉妹の前例がない。そして、生意気にも親の薦めはきかない。
だからもちろん、自分が決定した選択にたくさん後悔もしました。
格言好きなのは、この経験からきているのかも・・・
ははは。

そんな私が少し前から「流れに身を任せる」という事を覚えつつあります。
40過ぎて、よ、ようやく?!
いや、40過ぎたからでしょう(笑)
30代ではありえない出来事です

常にやりたいことに溢れているので、今までは「やりたいことをやるには、どうしたらいいか」について考え(まあ、これは自分の起源に変わりわないのですが)
そこで起こる逆流(障害壁)にモーレツ反抗して行動していました。
自分にとってそれが正しく、そうしないといられなかったのです。
「障害壁は単なる障害壁。邪魔をするものでしかない。」と、捉えていました。
真っ直ぐに突き進むのみ。これぞ為すべきこと!と。


今回も最初のよみ間違えに、「ぎゃーーー!ありえなーーーーーーい!私としたことが―――――!!!!!」
と、段取り好きな私は少し放心しましたが、スッパリ諦めて良い流れに気付く事ができ、最終的には「もう、こうなる運命だったのだ(大げさだけど)」という展開になりました。
でも、いやいや、ホントに。
だって最後に泊まったお部屋に「Alegrias」という名前がついてたんですよ
こんな偶然あります???

IMG_3037.jpg







基本

私の誕生月、6月になりました
私は6月生まれの双子座AB型ということで、いつも頭の中はカオスです
色々思いついたり、思い出したり、色々考えて苦悩するというのが日課です(笑)
考えることが好きなので(正しくは、好きなことを考えるのが好き)いつでも頭の中はフル回転なのです。
悲しいかな・・・あんまりボーッとできない性分です。
驚くほど長時間眠れたりはするのですが

さてさて、今日は練習をしようにもいつもの考えすぎでドヨンとしていたので、テクニカの練習だけしてみました。
基礎練習。

んーーー!甘い!!甘すぎる!!!
弱いところは弱いまま・・・。まずい・・・。

自主練が練習となっている私は(基本的にはクラスに通っていない)いくらでも自分を甘やかすことができる。
例えば足のテクニカの場合、まずは「何ができていないのか?」を洗い出し、潰していかなければならない。
体の構造や使い方などの知識が少ない私は、基礎練習を繰り返しやることで、
ここに重心を置くのか!
とか
ここで重心移動をするのか!
とかを、やりながら見つけることにしている。今の練習では。
そして、ちゃんとそれを意識してやると、できなかったことができるようになる
だから、苦手なものから逃げていてはダメなのだ。世界は広がらないのだ。

基礎練習。
これに始まり、これに終わるといっていいほど大事なこと。

踊りで言えば、
ゴルペはしっかりゴルペの音を出すこと
コンパスに入っていること
しっかり合図を出すこと
など。
こういうことが出来ていないと、踊りは歌やギターと会話ができない。
歌い手と弾き手の基礎練習は私は明言できないが、基本的なことが出来ていないと踊り手と会話ができない。
つまり、お互いに独り言になるのだ

基本ができていないということは、改めて恐ろしいと再認識・・・
今月はライブもあることだし、今日からまた身を引き締めて練習です











真似るの追記(せっかく考えたので覚え書きとして)

先日書いたものがタイトルとズレて終わり、続きをfacebookだけに投稿しちゃったので
以下コピペしました。

追記1
形は重要ではないって話ではないんです。形も大事。
しかし中身あっての外身というか。
中から出るんだから中が先ではないのか?と。
唯一無二をただ真似るとおかしくなりますよね。
そういう事だと思うのです。

他の例で言えば、パソのカウント。
まず、口三味線でつかまないとセンティードがおかしくなりますよね。
カウントはその後に来ると思うんです。

何から始まるのか?ということです。
私にとってはその順序が大事なのです(*^_^*)

追記2
「すごい上手!」か「感動!」か。
そういうことだ。
「すごい上手なことに感動!」ってのもある。

中身と外身の連動。
言わずもがな、中身は筋肉の動きではなく、感情・感覚。

私に深い感動を与えるフラメンコの本場の踊り手は、クラスで筋肉の動かし方や使い方を詳しく説明しない。
もちろん出し惜しみしてるわけでもない。
だから習得しなくて良いという話ではないが、目の付け所はそこなのか?!と。
何回クラスを受けたって習得できないのは、見せてるのはそこではないから。

すごく惹きつけられたり、キラキラ輝いていたり、ただ涙が溢れたり・・・。
私はそんなフラメンコが見たい。

真似るなら、そう踊っていることを真似たい。
いや、感情・感覚だからやっぱり真似られないか。

ようやく自分に対しての説明が完結しました。(たぶん)
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