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今更。

先日、サラ・アンダルーサのライブが終了しました。
応援して頂いた皆様、誠にありがとうございました!!!
今回は「今更。」と題して自分への戒めに書き記しておきたいことがあります。
本当に、 い・ま・さ・ら なのですが。

今回のライブで共演してくださった、モイ・デ・モロンとパコ・イグレシアス。
「共演」なんていうのもおこがましく、カンテ(歌)とギターで支えてくださいました。
全力で。

ここのところご指導をして頂いてる踊り手の萩原淳子さんが、「モイは手を抜かない」と仰っていた通り、どんな時も手を抜かないで歌うモイ。
ライブでは見てきたけれど、同じステージにイスを並べて座らせてもらい、自分の隣で・後ろで発しているそのパワーにとてつもなく揺さぶられる自分の心。

大きな感動のあとに押し寄せてきた自責の念は、無視できないものでした。

私はちゃんとやったのか・・・。

彼らは彼らの役目を全力でやっている。
そう言うと当たり前のように感じるが、実は難しい事だと思う。
フラメンコの歌・ギター・踊りは三位一体と言われ、お互いに触発しあう。
彼らと自分とでは「互いに触発」なんて成り立つわけがなく、私の踊りを見てインスパイアされることなんか何もない。
だから当然、彼らのテンションは下がるのだ。
しかしパコは私が迷ってやっている足振り(ステップ)について謝ると、「大丈夫。俺は基本を弾き続けるから、よく聞けばリズムに戻ってこれるよ。最悪、最後は合わせる。」と言ってくれた。
そして私の迷い足に対しての彼の寄り添い(支え)ぶりは素晴らしいものだった。
弾いていて、絶対にたくさんの「???」があったはずなのに。

モイもそうだ。
「今のジャマーダ(はい、ここで歌ください!と歌を呼ぶ合図)か?」とか「どんなテンションなんだ?」とか、ちょっと歌えませんよ~!!!という気持ちだっただろう。
しかし歌う。全力で。素晴らしい彼の節回しで。

この、ものすごくプロフェッショナルな仕事をする彼らに対し、なにも果たせていない自分。
申し訳なく、情けなく、ひたすら反省。
私は何者であれ、「踊ります!」と言って舞台に上がる以上、自分の持ち場に責任を持たなければならない。
このことを本当に改めて実感させてくれた今回のライブに大感謝です。

壁に貼って、胆に銘じて、石に刻まないと!!!!!









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基本

私の誕生月、6月になりました
私は6月生まれの双子座AB型ということで、いつも頭の中はカオスです
色々思いついたり、思い出したり、色々考えて苦悩するというのが日課です(笑)
考えることが好きなので(正しくは、好きなことを考えるのが好き)いつでも頭の中はフル回転なのです。
悲しいかな・・・あんまりボーッとできない性分です。
驚くほど長時間眠れたりはするのですが

さてさて、今日は練習をしようにもいつもの考えすぎでドヨンとしていたので、テクニカの練習だけしてみました。
基礎練習。

んーーー!甘い!!甘すぎる!!!
弱いところは弱いまま・・・。まずい・・・。

自主練が練習となっている私は(基本的にはクラスに通っていない)いくらでも自分を甘やかすことができる。
例えば足のテクニカの場合、まずは「何ができていないのか?」を洗い出し、潰していかなければならない。
体の構造や使い方などの知識が少ない私は、基礎練習を繰り返しやることで、
ここに重心を置くのか!
とか
ここで重心移動をするのか!
とかを、やりながら見つけることにしている。今の練習では。
そして、ちゃんとそれを意識してやると、できなかったことができるようになる
だから、苦手なものから逃げていてはダメなのだ。世界は広がらないのだ。

基礎練習。
これに始まり、これに終わるといっていいほど大事なこと。

踊りで言えば、
ゴルペはしっかりゴルペの音を出すこと
コンパスに入っていること
しっかり合図を出すこと
など。
こういうことが出来ていないと、踊りは歌やギターと会話ができない。
歌い手と弾き手の基礎練習は私は明言できないが、基本的なことが出来ていないと踊り手と会話ができない。
つまり、お互いに独り言になるのだ

基本ができていないということは、改めて恐ろしいと再認識・・・
今月はライブもあることだし、今日からまた身を引き締めて練習です











真似るの追記(せっかく考えたので覚え書きとして)

先日書いたものがタイトルとズレて終わり、続きをfacebookだけに投稿しちゃったので
以下コピペしました。

追記1
形は重要ではないって話ではないんです。形も大事。
しかし中身あっての外身というか。
中から出るんだから中が先ではないのか?と。
唯一無二をただ真似るとおかしくなりますよね。
そういう事だと思うのです。

他の例で言えば、パソのカウント。
まず、口三味線でつかまないとセンティードがおかしくなりますよね。
カウントはその後に来ると思うんです。

何から始まるのか?ということです。
私にとってはその順序が大事なのです(*^_^*)

追記2
「すごい上手!」か「感動!」か。
そういうことだ。
「すごい上手なことに感動!」ってのもある。

中身と外身の連動。
言わずもがな、中身は筋肉の動きではなく、感情・感覚。

私に深い感動を与えるフラメンコの本場の踊り手は、クラスで筋肉の動かし方や使い方を詳しく説明しない。
もちろん出し惜しみしてるわけでもない。
だから習得しなくて良いという話ではないが、目の付け所はそこなのか?!と。
何回クラスを受けたって習得できないのは、見せてるのはそこではないから。

すごく惹きつけられたり、キラキラ輝いていたり、ただ涙が溢れたり・・・。
私はそんなフラメンコが見たい。

真似るなら、そう踊っていることを真似たい。
いや、感情・感覚だからやっぱり真似られないか。

ようやく自分に対しての説明が完結しました。(たぶん)

真似る

「真似る」について考えた。

ベタに「真似る」を調べると、「他の人や物に似せる。まねをする。模倣する。」と出てきた。
この言葉に他に深い意味はないらしい。(※自分調べ)

そもそも、私は「真似」が嫌いだった。事物により今も続行中で、好きではない。

最初は、妹がしてくる私の真似(笑)。

同じものを、買いたがる・欲しがる・言いたがる・・・。
「なんで、真似すんの?!」と、何度も言ったものだ。
さらに、「真似」してるのに「真似してない。」と言われる展開。
ホントに腹が立つ。
この場合、要するに「はい、真似しました!」と認めれば話は済む(笑)。
今となっては、例えば友人のおこちゃまとかが私の真似をしてたりすると心底「なんてかわいいの~!」と思えるようになった。
わたしも成長したな。いや、年をとっただけかな(笑)。


「真似る」という私にとって大きな疑問の単語を、フラメンコの踊りの上で考える。
知識・経験量ともに少ない私の考えだが、フラメンコの踊りはその習慣や文化の影響から自然と生まれ、のちに舞踊的要素が加わり、洗練され、現在に至っている。
と、いうことは、そもそも「どこ」を真似るのだ?

踊りで「真似る」というと、その踊る「形を真似る」と一般的に聞く。
「いやいや、そうではない。」という人は、なぜかあまりいない。
「まずは形を真似る」と私はよく聞くからだ。
そして形を真似た後の話は、ほとんどない(笑)。
それを聞きたいのだが・・・(涙)。

想像するに、形を真似ることができたら、なぜその形になるのか?どうしたらその形になるのか?が
見えてくるのだろう。
その形はどこをどうしたらできるのかが。
そういう意味で、「形を真似る」は間違ったアプローチではない。
知識・技術として有効なものかもしれない。

しかーし、
形にこだわるとそれを守ってやってる人は、「みんな同じような形で踊っている」と、なるのだ。
極めた人ほど「誰かに似てる」となる。
手や指の動かし方、動かす速度までお手本に激似し、しっかり踊っているように見える。(たぶん)
だけど、そこまで真似しちゃってそこから個性は出せるのか?
(私は個性は形にも出ると思っている)
もちろん、多くの人はお手本を完全には真似できないだろうから、違った部分が出てくる。
でもこれは残念ながら、覗いた個性ではない。「真似できなかった部分」というだけ。
まあ、この個性を重要視していなければ関係のない話なのだが。
お手本のように踊りたい!という場合は、それでよいと思う。近づくほど完成度が高い。

ちょっと話が逸れるが、フラメンコの踊りを大きく2つのタイプに分けると
1、唯一無二の個性派
2、洗練された舞踊派
と、なる。

かろうじて真似ることが可能なのは、2である。(整形以外の容姿はのぞく)
だって、1は唯一無二なんだから。

「上手く踊るVSよく踊る」 みたいな話も出てきそうだが、それはここでは置いておこう。

さて自分は・・・・中途半端のセンターにいる(笑)。
自分の踊りと言える個性も出せないし、真似もできない。
まして真似に関しては、する気もおきない。
となると、方向としては個性派にむけて歩んでいくわけだ。
コンパス感もないけど(涙)


以前、考えたことがある。
上にあげた、1か2かのどちらかを選ぶなら、自分の状況(環境・身体能力など)を踏まえてより近づける方に・・・と。
とんだバカだった。
何のために?そんなこと思ったのか。
だって、どちらも簡単ではない。それはその時もわかっていた。
だけど、近づきやすい方でいいわけ?何を目指してるの??
何かになりたいの???

地位や名誉に興味がない私にとって、よりできる方を選んで進む意味は全くないということに
遅ればせながら気が付いた。
気付いてよかったけど。

「真似る」という言葉が良くない。
私には、なんか最初からマイナスのイメージ・・・。
自分にとって大事なフラメンコで聞くから嫌なのだろう(笑)。
彼が(彼女が)やってるようにやってみる、という表現はどうか(笑)。
そんなの気にするのは私だけか(汗)。

こうやって、時に自分の気持ちを整理することが必要な私。
入ってきた情報は自分で噛み砕かないと気持ちが悪いのだ。
人から聞く人の悪い評判は基本信用してない。自分で確かめないとわからないから。
それは私の良いところと思って、また進んで行こう

タイトルからズレて終わりました














踊る

今更なのか、今だからなのか
「踊る」って、難しい・・・
と、思う。

歌または音楽を感じて動くことが、「踊る」ということだと私は思っている。

フラメンコの踊りは、コンパス(フラメンコに不可欠なリズム感というのかな)を外さないというルールがある。
ルールでありながら、まずこのコンパスを外さないということが普通の人にはとっても難しいことなのだが
これを外さない上で、心と体で感じたことを、体を、四肢を使って表現するということが
フラメンコの「踊る」ということなのだと思う。

実に難しい。
やることがいっぱいある(笑)

頭で理解していても、体は思うように動いてくれない。
感じることができても、それを表現する技術が足りていない。
理解力、感性、身体能力、表現力・・・これらのほかにも、なんとか力とかが必要になるのだろうが
とにかく色々必要なので、大変なことである。
そんなの全部やるなんて、不可能である!!!
と、言いたくなる。(笑)

そうです。不可能なことに挑戦しているのです。
二十も過ぎてルールのコンパス感なんて身につくはずもないのに。
だけど仕方ないのです。
フラメンコが好きになっちゃったので!!!

そんな私が「踊る」からには大切にしたいことは、「真剣に踊る」こと。

もちろん、硬い顔や難しい顔をして真剣な表情をすることではありません。
一生懸命、真面目に踊る。
(まあ、ふざけて踊ってる人はそういないとは思いますが)

ある踊り手が、
「足のつま先から頭のてっぺん・指の先まで踊るという感覚が大事だ」
と、言っていました。

これは私にはこれまた難しいのですが、そいうい意識を持って真剣に踊ることが今の私にできることではないかと。

がんばりまーす♪









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